プレイス・オープン物語 Ⅳ

 


 

の続きです

 


 

追加融資を受けて、広告を打つんだけど

そんな簡単に売り上げが上がるほど世の中は甘くなく、悶々とした日々が続く

 

 

 

 

子供に保育園のお昼寝布団が買ってやれなくて

長女の使い古した布団を使わす事になったり

 

たまにジョイフルでご飯を食べる事が贅沢だったり

 

当時小学生だった長女にDSを買ってやる事が大変だったり

嫁には服もバックも我慢させて、いつも着古したような格好ばかりさせてた

 

 

 

こんなはずじゃなかった…

店なんて やめてしまった方がいいんじゃないか…

 

 

 

 

 

 

 

って思った事も たまにはあったけど

 

 

 

 

 

 

なんとかなる!ってずっと思ってた

根拠はないけど(笑)

 

 

 

 

 

だけど、オープン1年でリーマンショックが起きて

通津の製紙工場が封鎖になったりして、何人ものお客さんが転勤で引っ越すという出来事も起きるし

オープンから数年間は日本経済も落ち込む一方

 

 

 

材料屋さんも大きい会社に吸収合併されたり

オープンから数年の間でも南岩国にあった美容院が何店舗も閉店していった

 

 

しんどい時期が続いたけど、自分の進む方向性は

はっきりとしてたから とにかく信じてそれだけをやり続けるうちに

宣伝効果が少しずつ出てきて、徐々に売り上げが上がり始める

 

 

 

少し余裕ができたので、4年間ほどお世話になった嫁の実家を出てアパートを借りて家族5人で暮らす事にした

末っ子が1歳になる少し前の頃だった

 

 

その頃から本格的に軌道に乗り、少しずつだけど贅沢も出来るようになって来た

長女を私立高校に通わせながらマイホームを購入する事もできたし

夢というか 目標の一つだったメルセデスを手にすることもできた

 

 

 

一時期は支払いを終わらせたら1円も残らないような状態だったから

その頃から考えると全く違う生活になった

 

 

だけど、オープンからの数年間は本当に苦しく激動の数年間だった

 

 

 

 

 

今思い返すと、根拠も何もない自信だけでやってきた僕に

何も言わずに嫁はよくついて来たなぁ~って思う(苦笑)

 

 

昔我慢をさせてしまった分、今は少しだけど 贅沢もさせてあげたいなって思ってる

その為にもこれからもがんばり続けなきゃいけないな!

 

 

 

 

って 嫁想いの旦那です。

アピールしたところでこの話もそろそろ終わろうと思います

 

 

 

 

オープンから12年目になったけど、やっぱり美容師も美容院経営も楽しい!

沢山のお客さんと出会えて、色んな話が聞けて、いろいろな人と関われて

その人の大事な人生の記憶の一部に僕が残れるなんて 本当に良い仕事だ♪

 

 

 

安定が約束された人生も良いけど 僕の性格にはサラリーマンは合わないだろうから

天職だったんだろうなって思ってます。

 

 

 


 

 

 

 

プレイス・オープン物語に4日間お付き合いありがとうございました

明日からは通常通りの営業となります

 

 

 

 

お待ちしてます!

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です